我が国の農山漁村では、地域に散在する資源・環境を活かして、価値を生み出す技能をもとにした美しく地域らしい「生業景」が育まれてきた。中でも、乾物を生産するための「干す」行為がかたちを持って現れている「干し場」は、生業景の代表例の一つであり、地域の伝統的な食文化継承、地球温暖化が深刻な問題となっている現代において、自然エネルギーを利用する生産方法は、これからの環境問題を解決する策にもなりうる。本研究では、地味と気候風土を活かした干し場の中でも特に、東北地方における凍み大根の干し場の空間および設えの構成と特徴を、生活と生産、地理的条件から複合的に考察し、明らかにする。
各地域の地理的条件などと干し場の関係性を、実地調査などを踏まえて比較考察した。ここから、短い日照時間を有効に活用するため、屋根を西に向けて高いく設置し西日も取り入れている点や、雪を自然の足場として利用している点、商品化に伴い生産量を増やすため干し場に変化が生まれている点などが分かった。中でも、丸森町筆甫のS宅で行った「へそ大根」の干し場周囲の微気候調査においては、干し場は敷地内の中でも、一日の寒暖差が大きく相対湿度が低い、日照時間を十分に得ることのできる場所に設けられていることが分かった。またS家のへそ大根の生産は、住居に近傍した場所で必要最低限のエネルギーで行われ、干し場は日光の当たり方や寒暖差を考慮して形成されていると考えられる。
以上より、干し場には、地域の地理的条件、その生業の背景なども深く関わり合い形成され、生産に最も適した形に作られており、地域の微小な気候が深く関わっていると考えられる。
丸森町筆甫へそ大根農家敷地図
オモヤ軒下の干し場
単管とワクの干し場
風速
外気温と相対湿度
宮城県大和町龍華院庭園の石組みと配置構成にみる思想世界の表現について
ー仙台地方における近現代の日本庭園に関する事例的研究ー
日本庭園の歴史と景観の秀逸さは世界に類をみない。最高峰とされる事例の多くは京都をはじめとした西日本に多く、その形式も池泉の有無、回遊式、枯山水、露地庭、借景など多彩なものがあるが、東北地方の庭園研究は必ずしも進んでいない。「杜の都」と呼ばれた仙台にも多くの庭園が存在していたと考えられるが、史跡や寺院の一部に古いものが残るほかは近現代のものが多く、現存する庭園の特徴を解明することは重要である。
一方、近現代の寺院庭園で有名な存在として、重森三玲がいる。その弟子にあたる小山雅久は宮城県出身で、県内に実作が多く残っている。本研究では、小山が手がけた龍華院庭園を事例として、その石組みと配置構成にみる思想世界の表現について考察する。
龍華院は、宮城県黒川郡大和町東部に位置する臨済宗寺院である。A西南庭、B南庭、C参道庭、D主庭、E西庭、F北庭、G中庭と、計7ケ所の庭を有する。重森流技法に連なる枯山水を核とした作庭がなされている。まず素材面を整理すると、枯山水庭園では、役石を用いた石組が景観のポイントとなるが、(1)施主支給による台湾石、(2)福島産石材、(3)鳥海石などがよく使われていた。すなわち、寺院の側でも庭園の構想があったと考えられ、昭和後期から平成期にかけては建材、木材の輸入が進んだ時期でもあり、構想に合致する石材が集まっていた。こうして、現場の地形や植生を下地としながら、効果的に石材が配された。
また配置構成面では、自らを牛に例え悟りの物語をモチーフとした「十牛図」、試練を乗りこえる「龍門瀑」、浄土に渡る「二河百道」、犠牲を払って教えを請う「達磨絵」など、仏教系の物語をモチーフとした思想世界とその具現化が図られていたことが分かった。