「六華倶楽部」移転改築計画―皇室専用スキーロッジから都市住宅への転用の記録―

「風景が美しくなければこれらの世界を相手にした市場では勝ち残れない」この言葉は2009年9月のイタリア視察旅行においてシルク産業を訪れた際の経営者の言葉である。視察に参加した私は、コモの美しい風景を背景にシルク産業が成り立っていることを確認した。ところで、近年、歴史ある建物や町並みを評価し、現代の生活の中で積極的に活用しようという動きが日本においてもできている。私の知る範囲でも、名取市の国字重要文化財指定の民家での農家レストラン、富山県五箇山の伝統的建造物群であり世界遺産にも指定されている合掌造りの農家群は、生活の場として積極的に受け継がれている。上記の2事例は、時間の蓄積のある空間が風景をつくり、産業を支えているといえる。
本論文で取り上げるのは、老朽化を理由に解体される予定だった皇室専用スキーロッジ「六華倶楽部」を移動改築し都市住宅として転用するというものである。この計画は、六華倶楽部の存在を認め、価値を評価した1人の医師の想いから始まっている。本研究は、この計画で実測調査、解体調査を行い、建物を評価し、それをもとに実施設計など一連の作業を通して関わることで進めてきた。本論文では、この過程で歴史のある空間を体験し、計画過程の記録を通して、歴史的建造物の保全、環境への配慮、高齢者社会という視点からまちの風景をよくする-つの方向性を示したい。そして、六華倶楽部を仙台に移転することが、まちの情報の質を上げ、産業の背景をつくる可能性がある試みとして位置付けたい。

六華倶楽部建築概要

建築年代:1924年12月
建築主:宗川旅館初代宗川孝五郎
設計者:福島市の大工
建築地:山形県米沢市大字板谷字五色498
規模:1階 141.118m2
2階 108.248m2
計 249.361m2(1間1818mm)
用途:皇室専用のスキーロッジ
構造:木造2階建1部石造
基礎 凝灰岩/小屋組和小屋
柱 間柱筋違の軸組構造

六華倶楽部の建築の充足条件

移転改築において、建物として残すべき条件を以下に示す。
1)スキッブフロアの空間構成。フロアごとの区切りがなく建物の空間は六華倶楽部の最大の特徴である。
2)暖炉の復元。皇室の建物だったという証として、ラウンジの暖炉に刻まれていた皇紀と西暦の数字も復元する。
3)和洋折衷の建築様式。1階は洋風、2階は和風という和風という空間。特にホール、ラウンジに関して、靴を脱ぐという形式は和式であるのに対し、インテリアは洋風であるところ。

都市住宅としての六華倶楽部

建築主:川島孝一郎
用途:店舗付き住宅→専用住宅
構造:木造2階建

都市住宅への転用事項(2002.2月現在)

1)1RC造壁式→2RC造ラーメン式→3SC造→4木構造
建築主の地下、屋根裏利用の夢から1で試案をつくったが、3階の案では竪穴区間として階段に防火シャッターを設置する規制があり、スキツブフロァが生かせないということから、2,3の段階を検討し、木造2階建という案に決まった。
2)インテリア
1暖房のみ→2+洋風のインテリア→3+和風のインテリア→4忠実に復元
報道により注目されたことに対する建築主の振れ動く気持ちの反映である。
3)エクステリア
外壁下見板は準防火区画の規制により、形状的な復元となる。
4)生活基盤として
2階部分に浴室、トイレを配置。介護部屋として、プランを変更した。また、長く住み続けることを考えエレベーターを設置することに決まった。

総括

以下に示す内容はこの計画により確認できた、魅力あるまちの風景をつくるために必要と思われる視点である。
1)建物の価値を十分評価した上で、それがまちにとって良い存在になりうるかどうかということから解体や保存を判断する視点
2)あらゆる方向から建築物の魅力を引き出す案を出し、可能性を検討する視点

雑木林の存在意義と機能について ―既存の研究資料整理とその吟味―

1.研究の背景と目的

ここ十数年の間に、日本各地の雑木林が次々に削られ、姿を消している。私の実家付近にある雑木林も徐々に小さくなり、幼い頃の遊び場として思い出深い環境はもうそこにはない。
本研究は、『雑木林と人との新たな関係』を提案するための基礎研究である。まず、これまでの雑木林の役割と思われる内容をまとめ、今回は、その役割の中から一点にしぼって、既存の研究資料から集められたデータと照らし合わせ、定量的な観点から吟味する。そこでこれからの雑木林の存在意義を述べることができれば、それが雑木林を守る活動の武器になりうると私は考える。それに加えて、足りないデータが何かを明らかにする。

2 研究の方法

文献調査。多くの単行本,パンフレット,ウェブサイトのような二次資料とそれらの基になった論文を参考にまとめる。

3. これまでの雑木林の役割と思われる内容

3.1 暮らしのための生産の場

なぜ雑木林は姿を消しているのか。なぜ昔は雑木林がたくさんあったのか。その理由として、かつての雑木林は暮らしのための生産の場として使われていたが、今はそうではなくなったということが考えられる。
戦前、人々は雑木林に生える樹木などを上手に活用し、生活をより良いものにしていた。幹や枝崎・炭・柴として燃料に、或は蔓と一緒に柴垣・建材・生活道具・農具の材料にした。
毎年秋に出る大量の落ち葉は腐葉土・堆肥など有機肥料として、下草は牛,馬などの飼料としてそれぞれ活用されていたし、きのこ、山野草、兎、猪などの小動物、イワナなどの川魚は大切な食料であった。このように生産とうまく結びついていた雑木林では、間伐・枝打ちが頻繁に行われ、明るく安全な美しい雑木林が出来上がった。林内に日がよく当たるため、生物多様性は今よりも格段に豊かだったはずである。

3.2 戦後の工業化による雑木林の減少

ところが、戦後の高度経済成長期に工業化が進み、薪・炭などの燃料は安くて便利な化石燃料(石油・ガスなど)や電気に取って代わられた。また、プラスチックの登場で多くの生活道具は工業製品として大量生産されていった。

3.3 雑木林の役割を見直すきっかけと思われる動き

そんな中、国有林は林野庁の独立採算制、民
有林,共用林は現金収入の大半を占めた薪炭が衰退したことによって、収入源としてもっと期待の持てるスギ・ヒノキの人工林へと転換されていった。しかし、外国からの安価な輸入材におされ、国産材の売れ行きはあまりよくない。収入のなくなった人工林の中には間伐・枝打ちをする費用がなく放置されるものも多く、日当たりの悪い林内には下草がほとんど生えなくなった。その結果、風倒木の増加、沢水の減少、川下の洪水増加などの問題が多発するようになったが、これらの問題が明るみに出てからは森林の環境面の役割が次々に明らかになった。『森は海の恋人』という有名なキャッチフレーズは森林から出る水が海産物収穫量を増やすということをうたっている。『山は緑のダム』という言葉には、保水力のある山はダムの代わりになってくれることが表されている。しかもダムのようなメンテナンスが必要ないため、その分の公共事業費を山の管理に投資できるという点で都合が良い。その他にも、植物の光合成(cO室の吸収)によって地球温暖化を,蒸発散作用によってヒートアイランド現象を、また、自然災害(土砂災害,火災,水害,風害,雪害,騒音など)も軽減防止するという。もっとも、これらの役割は我々人間が重要視しなかっただけで昔からあったものである。
これらの環境面の役割が明らかになると同時に、最近、ようやく雑木林の役割を見直すきっかけと言えそうな動きが見られはじめてきた。より質の高いものを求めた、本学科第三生産技術研究室やHOCCOなどによる高付加価値を持ったクラフトの技術。茶室や数寄屋にも高級な建材として雑木が使われている。

4. 雑木林の役割を裏付けるデータ

前述のように、雑木林にはさまざまな役割があるが、今回はその中から「水の循環から見た雑木林の役割」について、定量的なデータと照らし合わせて説明したい。

4.1 水の循環から見た雑木林の役割について

・浸透能と保水力:
定義の違いを明確にする必要がある。一般に言われている「広葉樹のほうが保水力がある」について、それがわかる定量的なデータは残念ながら見つからなかった。(図1.2)

また、保水力のある森林は降水をゆっくり均一に流すことによって洪水・渇水を防いでいるが、雑木林のデータはなく、針葉樹と広葉樹の混交林の場合、林齢が大きくなるほど年最小日流出量は増加する。(図3)

・森林が水質に与える影響:
森林に降った雨は植物体から養分が溶出する時,植物に養分を吸収される時,土壌の負に帯電した粒子にイオン交換される時に水質を変化させる b)。この負に帯電した粒子は腐植内に多いため b)、落葉の量が多い雑木林は水質を変化させる力も大きいと思われる。また、物質のほとんどは土壌と植物体内に貯蓄され、栄養分の少ない状態で川に流出することになるが、その物質量は有機物の分解速度が速いところほど多くなるという b)。つまり針葉樹林は広葉樹林に比べ、流出する物質量は少なくなると考えられる。

5. これからの雑木林の存在意義

以上の吟味から今後の雑木林の存在意義は
1 豊かな種が生み出す再生産可能な資源としての役割
2 居心地の良い自然空間としての役割
3 複合的な学習が可能な場としての役割
4 水,空気,熱,音,光などを制御する役割
が考えられ、これらを二重、三重に活かすことが雑木林を保全することにつながると思われる

参考・引用文献

a) (社 日本林業技術協会『森と水のサイエンス』1997.6.3 東京書籍
b) 只木良也・吉良竜夫『ヒトと森林』2000.3.10 共立出版
c) 只木良也『森と人間の文化史』1997.8.30 日本放送出版協会ほか

暮しと生産が形成するビオトープネットワークに関する基礎研究

1.背景と目的

産業革命以降、技術進歩による大量生産大量消費社会が到来した。そあ結果、安全性・利便性を兼ね備えた豊かな暮しになったが、一方で自然環境は悪化し、各国で環境保護の政策が求められるようになった。ビオトープ(Biotop)は生物多様性の保護のためにドイツから始まった理念である。「bio:生物 topos:場所」を語源とする造語であり”生物の生息生育する場所”,という意味である。現在のドイツでは”自然環境保護の観点から保護しなければいけない地域”,と位置付けられ、環境保護対策の手段とされている。日本でも最近になり注目され、すでにいくつかの事例もある。しかし、日本のビオトープはドイツのビオトープと比較すると箱庭的で規模の小さなものであるという印象を受ける。従って本研究の目的を以下にする。1:ドイツと日本のビオトープの違い 2:ドイツ並みのピオトープが日本にあるかないかを明らかにしつつさらに 3:今後の日本のビオトープのあり方について提言したい。

2.方法と内容

2.1.文献調査によりドイツと日本のビオトープの違いと問題点を以下の点から明らかにする
・違いの生じたきっかけ、ドイツのピオトープの指標
・ドイツと日本の事例収集
・収集した事例におけるピオトープの指標の比較によるドイツ並みの日本のビオトープについての検討

2.2.ドイツでは農村整備事業に自然環境保護を取り入れることが法的に求められる。そこで実地調査による農山村地域における一農家の環境の実態を以下の点から明らかにする
・自然環境の現況調査、歴史的経緯とその背景
・維持管理について(実測、資料文献、聞き取り調査を含む)

2.3.以上の点から日本の今後のビオトープのあり方に
ついて提言する

3.ビオトープの発展経緯(図1)

ビオトープの始まりは1976年のドイツ「連邦自然保護法」である。その後、日本に伝わったのは1980年代中頃で河川工学者が中心となって研究していた近自然河川工法と一緒にピオトープが広まっていったと思われる。1980年代はドイツでもビオトープは研究段階であった。1992年の「地球環境サミット」により、生物多様性の問題が行政が取り組むべき問題として世界的に取り上げられるようになり、急速にその必要性が問われるようになった。日本でもビオトープなるものが近自然河川工法を用いた効果の見やすい形で各地につくられるようになった。他方、ドイツをはじめヨーロッパでは1992年「ヨーロッパエコロジカルネットワーク」が計画され、ドイツでは農村整備事業に自然環境保護を取り入れることが法的にも求められるようになった。日本では近自然工法を中心に、ドイツではネットワークの計画を中心にして広まっていったことが日本とドイツのビオトープの違いを生んだ要因と思われる。

4.ビオトープの指標

ドイツと日本のピオトープを具体的に比較するため、ドイツを基本としたピオトープの指標表(表1)を作った。事例においてピオトープの形態、ネットワークの形成、ピオトープの目標・目的を調査し、まとめるが特にビオトープの目標・目的が比較対象となる。ビオトープの目標については表1の青線囲い、横軸のビオトープの保護・保全・復元…、ビオトープの目的は縦軸の種の多様性、地下水と表面水の保護等の項目が入る。横軸に多く印がつけば広範囲のビオトープを対象にしていることがわかる。縦軸に多く印がつけば目的が充実したピオトープと評価できる。日本ではまだ、整備体制が整っていないこともあるのでドイツのような規模の大きなものを計画することは難しい。よって、ここでは、縦軸の充実度がドイツ並みのビオトープの目安とする。次にこの表をもとに事例について検討してみたい。

5.事例調査

日本でピオトープとして捉えられている屋上ビオトープ・企業地内ピオトープ・学校ビオトープ・公園ビオトープ・河川ビオトープ・里山ピオトープ・自然再生事業、それぞれ1~2例の事例調査を行い、ピオトープ指標表で評価した。(例:表2,3,4)
屋上ビオトープ・企業地内ピオトープ・学校ビオトープ等は規模が小さく、ネットワーク化はほとんど考えられていない。環境学習や自然に親しむ場としての意識のほうが強いようである。河川ビオトープ・里山ビオトープについてはネットワーク化も考慮されている。里山ピオトープについては指標表のピオトープの目的が充実していた。釧路湿原自然再生事業については国が関わっている事業であるということから、一番規模が大きく目的も充実していた。ドイツ並みのビオトープに一番近いものであるといえる。事例のビオトープの指標を比較した結果、日本のピオトープの問題点はビオトープは創るものであるという意識が強く、自然保護・保全、ネットワーク化の意識が薄いことではないかと思われる。日本の事例の特徴として以下のものが挙げられる。表1の下から二つの表を参照願いたい。

・ピオトープネットワークの形成は地点地域範囲が多い(▲)
・自然環境の代償、復元の目標が多い(■)
・地下水と表面水の保護は意識されているが土壌肥沃性の維持に関しては少ない(●)
・伝統的技術で利活用するという項目が少ない(○)
・ピオトープの目的が自然に親しむ場、環境学習の場としての意識が強い(◎)

6.農山村地域における一農家についての実地調査結果

実地調査を行い、目的の「2:ドイツ並みの日本のピオトープについて」「3:日本のビオトープの今後のあり方」について考察する。

6.1.調査地紹介

調査地は宮城県山元町坂元地区の農家「佐藤家」である。山元町は宮城県南部に位置する平地農村で、1998年の山元町総合計画との絡みで平成11年度から農林水産省の田園空間博物館事業(以下:田空)に取り組んでいる。山元町の田空は『地域住民が主体的に地域資源を発掘し、活用する活動を展開する』(引用:集落づくり博覧会要旨集)というもので自然環境もこの地域資源に入っていることから自然環境保護の新たな展開とも言える。佐藤家は田空の一つ「田んぽの楽校」の会場ともなっていたことから調査地に決定した。

6.2.佐藤家の環境の現況

佐藤家の環境は代々受け継がれてきた田んぽと畑、字日向の全域を占める里山が含まれている。
現在の環境について、植物や水系についてそのありかと配置を調査し、自然資源配置図。断面図としてまとめたものが図3である。植物種は山菜や.果樹を中心に確認できたもので約27種ある。宅地裏の井戸水は元禄時代からある、貴重な水源である(写真1)。また、動物調査は山元町田空事業の「溜池の楽校」に参加し、田の虫調査を夏と秋の2度行った。図2に示すように田んぽの中での益虫・害虫・ただの虫のバランスのとれた関係を見ることができる。聞き取り調査でもタガメやホトケドウジョウなどの絶滅危倶種(環境省分類)も生息していることが確認できた。

6.3.歴史的経緯とその背景

佐藤家の環境は時代とともにそのつど変化してきた。佐藤家のここでの定住は元禄時代といわれている。明治以前から昭和初めまでは桑畑と田んぽが中心であった(図4)。大正に入り、潅概用水を確保するために溜池を築造。昭和30年代は繭価の低下により、桑畑から里芋畑に転作する。昭和34年には労働時間軽減のために畑の一部は梅。ミョウガにし、残りは広葉樹・果樹を植える(図5)。この時、この場所は将来的には庭にしようと考えていた。昭和43年には生産性向上のために田んぽと用水路の区画整備として土地改良区事業が行われる。昭和初めまでに見られた等高線に沿った様々な形態の田んぽは直線を主体とした形状になった。それに伴い佐藤家では野菜栽培を止め、稲作専門になる(図6)。その後、世代交代などにより山菜畑を広げ、現在の状態にいたっている(図3)。減反政策のために大正時代に築造された溜め池のほとんどは使用されなくなる。この他に井戸水は古くから現在まで生活用水・田んぽの用水として使用されている。
このように佐藤家の環境は暮しを豊かにする生産向上の努力とともに国の農業政策が大きく関わってきたとみることができよう。

6.4.維持管理について

現在、佐藤家の環境は自然の力を暮しの資源として利用しつつある。そのほとんどは利用状況が変わっただけで昔からある環境を生かしたものにほかならない。普段の維持管理によって現在の状態が保たれているのである。
佐藤家では高齢化・担い手不足により、安定した環境の維持管理が難しくなっている。維持管理がなくなればその環境は崩壊する。その打開策は昨年の山元町田空事業「山の楽校」による山の管理について学び、伝承するという形での地域の人たちの参加にもありそうだ(写真2)。こうした試みと佐藤家の関わりは今後の課題となろう。

6.5.ビオトープ指標表による佐藤家の環境評価

他のビオトープの事例と同様にピオトープ指標表で佐藤家の環境を評価した結果、表5に見るように縦軸のビオトープの目的を充分に満たしているものとなった。ただし、あくまで暮しや生産活動の結果として構成されている環境であるため、横軸のビオトープの目標の欄にはあてはまるものがなかった。日本ではドイツのように人間が手を加えていない自然は少なく、ほとんどが人間が手を加えた二次的自然である。しかし、農山村のような二次的自然では多様な生物種が生息する豊かな生態系が育まれてきた。それがピオトープの指標表では縦軸の項目の充実度で読みとれる。

7.まとめと提案

ピオトープ指標表(表1)でピオトープの目的(青線囲いの縦軸)の充実度を中心に評価した結果、文献による事例調査では里山、農村ピオトープの事例で目的項目を多く満たした。また、ビオトープ指標表による佐藤家の自然環境評価でも目的項目が多く満たされていたことがわかった。この点から“農村の自然環境”がドイツ並みのピオトープのキーワードになると思われる。農村の自然環境は古くから日本の風景としても親しまれている。実地調査でも古くからの自然環境を生かし、保全していくことで豊かな自然環境を形成している事がわかり、ビオトープとしての価値をもっていると思われる。しかし、暮しの中の結果として保全されてきた環境であることからピオトープとして改めると人の手による維持管理作業が大変で維持していくことが難しくなっている。

現在、日本にはエコミュージアムや田空、里地里山保全活動等の地域活動がある。地域振興を目的に地域の持続可能な姿を目指しているものである。ここでは、地域資源として文化や暮し、自然環境の保存活動を行っている。このような活動の中で、地域のビオトープの発掘、そしてそれをピオトープネットワークとして形成していくような展開が今後の日本のピオトープのあり方に加わってくるのではないだろうか。

参考文献

日本生態系協会:ピオトープネットワーク,ぎようせい,1994
日本生態系協会:ピオトープネットワークII,ぎようせい,1995
松山恵一・重松敏則:ピオトープの管理・活用,朝倉書店,2002
山脇正俊:近自然エ学,信山社サイテツク,2000
BioCity nol3,1998
山元町総合計画,山元町企画調整課,1998
平成15年度山元亘理田園空間博物館集落(むら)づくり博覧会要旨集,山元町産業経済課土地改良区係,2004